oval / そらいろくらぶ

 

https://youtu.be/K3oHIR3vAm8

oval / そらいろくらぶ

 

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なだらかに伝う ふわり、ふわり 
広い屋根を撫でて ふわり、ふわり 落ちた

 

緩やかに伝う ふわり、ふわり 
遠い雨の音に ふわり、ふわり

 

飛び交う宙の輪 
たゆたう憂を

 

拾い上げた問いは 
伝わるコードの様 
結んで 紡いで 今は

ここに在る風景を 
伝える事の様 
繋いで 浮かぶ輪を 広げて

 

緩やかに伝う ふわり、ふわり 
遠い雨の音に ふわり、ふわり

 

遠い 遠い 愛を そっと 歌う 
遠い 遠い 愛を そっと 歌う

 

拾い上げた問は 伝わるコードの様 
結んで 紡いで 今は 
ここにある風景を伝える事の様 
繋いで 浮かぶ輪を 広げて

 

雨に踊る歌。

 

 

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 梅雨の季節、雨粒とともに電子音が降ってくるならもっと楽しくなるはず。傘や屋根や植物にふれた音は弾けるか、消えるか、縁に沿って流れるか、視覚化されたらどう見えるだろう。

 

 “oval”は、楕円形の、卵形の、といった意味。

空洞の卵が存在しないと仮定すると、卵のなかにはいつも、かたちをともなった秘密が存在している。同じように、音の粒もまた、それより小さな粒を内包していて、その粒も…と、ロシアの民芸品と同じ構造を持っている気がする。

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 ところで私は、温度、粘度、勢いに違いはあれど、直接耳に流れてくる音のすべてを水だと捉えていて、イヤホンは両耳用のシャワーヘッドのようなものだと思っているから、電車などで音漏れを放置しているひとを見かけると、やけに恥ずかしくなる。水量の調節ができていないのは明らか、本来なら体内に注ぎ込まれるはずの水を溢れさせているわけで。どんなものであれ同じこと、適切な量を守れないのは、効果を無下にしているようで勿体ない、と思う。加えて、当の本人は気にしていないであろうという点がまた、私の奇妙な羞恥心を刺激する。

 

 …それはさておき、この曲のゲストボーカルとして参加しているちびたさんは、私の愛してやまないアーティスト、古川本舗の曲も歌唱している。曇り空や細雨が似合うお声だ。2015年7月20日に活動を終了した古川本舗についても、いつか記事を書けたらいいなと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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SORAIRO CLUB×CHIBITA

SORAIRO CLUB×CHIBITA

 

 

 

 

 

 

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文月一七日

 

 

 ひんやりとした布団のうえで目を瞑って蝉の歌を聴いていると、自分がいつまでも夏を繰り返しているような気分になる。エンドレスエイト、ではない、エンドレスセブン。暑さによって、比喩的にではなく、物理的に、人間が溶けたら面白いのになと思う。日が沈みかけ、夕涼みに丁度いい時間帯になると、溶けた身体はもとのかたちにゆっくりと凝固していく。バラエティー番組なんかでよく放映されている逆再生の映像みたいに。そのあと、何食わぬ顔して日常に戻るひとびとを想像すると可笑しくなる。溶けている時間、私たちの意識はあるのだろうか、しかしそれだと、鉄板のようにじりじりしたアスファルトの熱の痛みや、むっとするような草熱の青い匂いにも耐えないといけないから、意識はないほうがいいように思う。

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 異国の夏を体験してみたいけれど、身体を動かすのは億劫なので、今日もこれからもずっと本を読む。ぐしょ濡れになって肌にへばりつく衣服、うだるような灼熱、ポルトガルの町、リスボン。あらゆる境界は溶け、まるでいつもそうしているかのように、生者と死者は食事をともにする。黄色い花柄のレリーフをあしらった陶器の大皿の上のサラブリーリョ。豚のレバー、ロース、脂身、ラード、牛の胃袋、カップ一杯の煮詰めた血、グラス一杯の白ワイン、大蒜一かけ、タマネギ、オリーブオイル、それらにクミンと塩、コショウ。

 

 

“とにかく、旦那さんがおいしいサラブリーリョをつくろうと思ったら、肉は前の晩から寝かせておかなきゃいけません。ロース肉をきちんと賽の目に切って、つぶしたニンニク、ワイン、塩、コショウ、クミンでマリネにするんです。そうすれば次の日には、香ばしくて柔らかい肉になっています。手順のその一は、陶器のシチュー鍋に、胃袋にくっついている脂身のところを切り入れて、弱火にかけること。それから一気に強火にして、ラードをくわえてロース肉に焼き色をつけてから、火を落とします。肉にあらかた火が通ったところで、前の晩からの漬け汁をその上にかけて、アルコール分をとばします。そのあいだに胃袋とレバーをこまかく刻んで、キツネ色になるまでラードで炒めます。それとは別に、タマネギのみじん切りをオリーブオイルで炒めて、煮つめた血をカップに一杯くわえる。最後にシチュー鍋でそれらをいっしょによく混ぜ合わせれば、サラブリーリョのできあがりです。あとはお好みでクミンを足してから、フライドポテトかポレンタかライスを添えてお出しします。故郷じゃみんなそうしてるから、あたしはポレンタの方が好きですけど、そうしなきゃだめってわけではないの。”

 

アントニオ・タブッキ,鈴木昭裕訳,『レクイエム』,白水社,1996,pp.49-50

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 古道具屋と船会社のあいだ、朽ちた薔薇色の壁のペンション・イザドラの、清潔な白いシーツに包まれて眠り、夢をみる。アゼイタンの木陰で目を覚まし、栞を挟んだ頁を開いて、微睡みつつも指を進めるのは私であるかもしれない。

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 そういえば今朝、家の隣の田んぼの畦道に、一輪の向日葵が健気にまっすぐ咲いていた。立ち上る熱気に負けず、花は溶けないでいてほしいと思った。

 

 

 

 

 

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レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 

 

 

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seventeen / Spangle Call Lilli Line

 

 

https://youtu.be/Y2HSVfVFWUA

 

seventeen / Spangle Call Lilli Line

 

 

 

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 「小さな女の子はきらきらしたものに惹かれる」という話をよく耳にするけれど、性別や年齢に関係なく、人間は誰しも、度合いや種類は違えど、輝くものに引き寄せられるのではないかなと思う。 

 

私は、時間帯では夕方から深夜にかけてがいっとう好きだし、暗い場所が好きだし、重いテーマを扱った作品が好きだ。

それでも、朝起きてカーテンを開けたとき、終わりがこないかのように思えるトンネルを抜けたとき、作品内の登場人物の未来に希望がちらついたとき、そこに顕れる輝きには胸が晴れるような心地がする。

 

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 “seventeen”は、Spangle Call Lilli Lineのアルバム『New Season』の1曲目を飾るトラックだ。この曲の音は、ほかの楽曲のそれよりもきらきらしているように感じられるから、いつかの夏に絶え間なく降り注いでいた光の粒を思い出す。

SCLLの歌詞はどれも単語の羅列であり、全体としてはっきりとした意味を成さない抽象画のようだ。大坪さんが歌うと、まるで別の世界の言語のように聴こえて、ことば本来の意味が消失するようにも思える。歌詞を目で見て初めて、馴染みのある日本語だと理解するのだけれど、いくつかの断片から全体像をイメージする行為は、星々を結んで星座をつくる作業と似ているような気もする。

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 わたしたちは、ものごとに関連性を見出だして、繋げたり切り離したりせずにはいられないから、人間がことばを完全に独立させることは不可能に近いと思う。そうするには、ことばを純粋な音に還元する必要があって、それに近いことをしているのが、彼女らの音楽活動なのではないかなと、ぼんやり考える。

 

 

 

 

 

 Spangle Call Lilli Lineの音楽を聴くとき、雲の上の空間を思い浮かべる。

私はまだ、それがどんな手段であれ空を飛んだことが一度もないけれど、雲だとかそういった、ふだんは、見上げる空遠くに浮遊しているものを、自分が見下ろしているというような状態でいるのは、何ともいえない気持ちがしそうで、その形容できない感覚そのものが、彼女らの音楽を聴くときの心情と通じているような気がする。

 

地上がどれだけ荒れ果ててもなお、雲の上ではずっと同じ時間が流れ続けて、そこには、蒲公英の綿毛が宙に溶けたあとのような透明な輝きが溢れているのだろうと想像して、すこし楽しくなる。

 まだ見たことのない景色が脳裏に描画されるのは不思議で、わたしを構成している細胞のそれぞれが夜にみた夢を集めてできた作品なのかもしれないなとも、時々思う。

 

 

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New Season

New Season

 

 

 

 

 

 

 

 

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彩り / Mr.Children

 

 

 小学二年生の時分か、正確な時期は忘れてしまったけれど、道徳かなにかの科目で、こんな宿題が出された。

 

「あなたの名前の由来をおしえてください。」

 

ざらざらしたプリントの右上には、保護者が記入するための空欄が設けられていて、自分で書かなくていいのか、やったぜ、と内心ガッツポーズをした記憶がある。面倒くさがりな性質はずっと変わらない。

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 その日も、小学生の短い脚では片道20分程度かかる通学路を家まで、友だちに誘われ一緒に、ぐるりと遠回りをして帰った。植物の緑の濃いにおい、瀬戸内海の穏やかな青さ、色とりどりの花に囲まれて育った私は、あの頃ずいぶんいい経験をしたなあと、いま、思う。不恰好な案山子が立っていた田の多くは埋め立てられ、新しい住宅になった。ただ、この季節になると、蛙の合唱が、昔から変わらない喧しさで響き渡るので、まだ彼らのすみかはなくなっていないようだ。

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 話が逸れつつあるので戻る。

帰宅した私は、毎回玄関まで迎えに来てくれる母にただいまと告げてからリビングへ直行し、ソファーに腰掛け、背中から降ろした赤いランドセルの底から課題のプリントをひっぱりだし、皺をのばし、忘れないうちに母に手渡した。いつも、宿題は学校で終わらせていたから、いそいそとコンポにMDをセットし、音楽を流しながら、絵を描いたり本を読んだりした。母は何事も真剣に考えるたちだから、私の真向かいに座り、プリントとにらめっこしていた。テーブルを揺らさないようにと言われたので、消しゴムをつかわないように心がけたのだったか。

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 夕ごはんのあと、食器を台所へ運び、冷蔵庫から冷えた牛乳を出し、お気に入りの透明のグラスに注いで飲んだ。家計簿をつけていた母がレシートを整理して、ペンを置き、お風呂に入ってくると言ったので、いってらっしゃいと返し、明日の時間割に合わせて支度をしようと腰をあげたとき、ふとプリントのことを思い出した。それは、丁寧に二つ折りにされてテーブルの端に置いてあったので、迷わず広げた。

空欄には、

 

名前  彩

「感受性豊かで心優しく、自分や他人の人生を彩ることのできる子に育ってほしいと思ったから。」

 

筆圧の弱い小さな文字で、こう書かれていた。

私は、正直、驚いた。母が私の名を決める際に「葵」と「彩」で迷っていたのは知っていたけれど(父はおおらかなぶん、こだわりもなかったのだった)、どちらも漢字一文字だし、あ、から始まるし、響きで決めたのだろうと思っていたから。あおい、なんて、あ行だけで構成されていたし、あや、だって、唇を動かす筋力をも必要としない省エネの名前だ。同級生には、同じ名前の女の子がいたけれど、彼女のお母さんはどんな理由で名付けたのだろうと気になった記憶がある。そして、この世界のあらゆるものやひとたちの名前がそれぞれとくべつに感じられて、自分が、生まれたての状態で宇宙に浮かんでいるような、時間も距離も、ここから遠く遠くへゆくような心地がしたのだった。

 

このときから、私は、母が名付けてくれたこの名のとおり生きたいと、切に願うようになった。小学校高学年の図工の授業では、布を縫い合わせ、中にわたを詰め、パレットと絵の具と絵筆を作った。頭のすみにはいつも、母の書いた控えめな文字があった。自分や他人の人生を彩ることのできる子に…そうして今も、ずっと心に留めていることだ。

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 母は、Mr.Childrenの大ファンでもあった。

道徳のプリントに名前の由来を記入してもらった日から幾年過ぎたある日のこと、いつもの自然な動作でコンポにCDを入れ、再生ボタンを押した母は、

「彩の名前、ミスチルのこの曲からつけてんで」

と、はにかみながら私に言った。

 

https://youtu.be/PFLT4PFDMoo

 

ここに、歌詞を記しておく。

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彩り / Mr.Children

作詞・作曲 桜井和寿

 

ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて

僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑

 

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小さな庶民

憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩を探す
にじんでいても 金 銀 紫

 

ただいま
おかえり

 

なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 増やしていく 水色 オレンジ

 

なんてことのない作業が 回り回り回り回って
今 僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐は 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク


増やしていく きれいな彩り

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そのことを知ってから歌詞を読むと、心打たれるものがあった。

 

 もうじき二十歳を迎える私は、どうだろう、母の願いどおりに育っているだろうか。確信はないけれど、少しはそうであってほしいと思う。そしてこれからも、私がこの名で生きる限りいつまでも、パレットの色数を増やしていきたい。それは誰かのためでもあるし、“回り回って”、私自身のためでもあるのだから。

 

 

 

彩り

 

 

 

 

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Guilt / Ringo Deathstarr

 

 

https://youtu.be/bAVv5G1jkW4  

 

Guilt / Ringo Dethstarr

 

 

 

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 Ringo Dethstarrは、アメリカ合衆国のシューゲイズ・バンドだ。

 

シューゲイザー とは、ロックミュージックの形式の一つである。

「轟音」と形容されるようなノイズ、エフェクトのかかったギターサウンドに、甘く囁くように歌うボーカルの声が重なり、全体として浮遊感のある幻想的なサウンドをつくりだすのが特徴だ。

 

 今回の記事で紹介する Ringo Dethstarr は、シューゲイザー黎明期の数々のバンドの影響を受けて結成された。

 

ギター、ボーカルのエリオット・フレイザーと、ドラムのダニエル・コボーンが作り出す音の洪水に、ベース、ボーカルのアレックス・ゲーリングの歌声が紅一点、ノアの方舟さながら、飛沫のなかでたしかに浮かぶ。

 

 

 

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 ところで、シューゲイザーの金字塔と呼ばれ続け、この単語を音楽の一ジャンルとして世界に知らしめた伝説のバンドがある。

 

それが、1984年にアイルランドのダブリンで結成された My Bloody Valentine だ。

日本では広く、「マイブラ」という愛称で呼ばれているので、この記事でもそう記述していく。

 

1991年に彼らが発表した2ndアルバム『Loveless』(当時の邦題は「愛なき世界」)の独創的な音楽は、世界中のミュージシャンに多大なる影響を与えた。

 

このアルバムから一曲、紹介する。

 

https://youtu.be/FyYMzEplnfU

 

Only Shallow / My Bloody Valentine  

 

 3分44秒間、大きな曲調の変化もなく、似たようなフレーズが繰り返される。楽器の咆哮と、霧のような歌声。うねるような旋律には、人をトランス状態にさせるちからがある。

 

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1990年頃に湾岸戦争が始まり、芸術作品の中にも、メッセージ性がふんだんに盛り込まれたものが増えた。それ以前からも、音楽、とくに「ロック」は、政治とは切り離せないものとされることが多かった。私がまだこの世に誕生していない時分の話だった。

 

そんななか、マイブラをはじめ、Slowdive、Ride、The Horrors、Pale Saints、Cocteau Twinsといった、シューゲイザーという音楽形式を愛した芸術家たちは、政治的なメッセージではなく、彼らが生み出す「音」そのものをダイレクトに伝えた。新しい音楽のかたちを、その音をもって、人々に認めさせた。

 

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 Ringo Deathstarr の話に戻ろう。

 

彼女らは、他アーティスト、シューゲイザーのパイオニアたちの音楽から受けた影響を、微塵も隠そうとはしない。

 

以下、BBC Musicの言葉を借用。

ミュージシャンにとって、独創性や奇抜さといったものが必ずしも重要ではないことを彼らが提示した。

 

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また、Allmusicは、こう述べている。

彼らは見事に先人たちの音楽を消化し、自分達のものにしてしまった。忠実に再現された昔ながらのシューゲイザーサウンドに賛辞を惜しまざるを得ない。聴いた者は皆、アルバムの端から端までを埋め尽くすノイズギターの洪水に我を忘れ、ベース・ボーカルのアレックスの甘い歌声に酔いしれるだろう。

 

 

 そういえば。

Ringo Deathstarr というバンドを知ったときに一番に連想したのは、私が日本国内の女性アーティストで最も敬愛している、日本の「Ringo」である。

すなわち、シンガーソングライターの椎名林檎だ。

 

こういった小さな偶然の重なりには、いつも楽しい気持ちにさせられる。どんなに些細なことでも、目を向けてみると何か発見があるものである。自分の外と内を素直に観察することを習慣として、今日も、明日からも過ごそうと思う。

 

 

 

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PURE MOOD

PURE MOOD

 

 

 

 

LOVELESS

LOVELESS

 

 

 

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Noctambulist / matryoshka

 

 

https://youtu.be/NQqeDOsObT8

 

Noctambulist / matryoshka

 

 

 

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 エレクトロニカ・ポストロックユニットの matryoshka は、トラックメイカーのSenとボーカルのCaluによる男女のユニットだ。

曲名の“Noctambulist”は、夢遊症者のこと。私は、夢遊病者という単語よりも、こちらのほうが好きだ。

憂いを帯びた女性の声、心地いいノイズ、一つの集合体として、映像と相まって一空間をつくりあげる楽器隊。両耳から音が浸入し、脳のなかへゆっくりと流れ込んでくるときの感情を、どう表現すればいいのだろう。

 

 自分の好きなものについて、誰かにその魅力を伝えたいと思う反面、言葉を無理に組み立てて形容したくないとも思う。その対象に愛着があればあるだけ、その傾向はつよくなる。

 

というのも、言葉は世界を切り分けていくものであるので、もし、ある感情を自分の言葉で形容してしまえば、まるでその感情がくっきりと輪郭を描いて存在するというような誤解を招きかねないから。

人の感情に、たしかなものなど一つもなくて、たとえば「うれしい」という言葉一つにしたって、注文していた本が14冊届いたときの、慈しみを含んだうれしさと、お気に入りの洋服を着て外に出掛けたときの、胸の弾むようなうれしさとはまったくちがう。

「うれしい」という、ある状況下での自分の気持ちを表す四文字でさえ、いつどこでだれが発したものであっても、すべて微妙に、あるいは大きく異なる感情をあらわすのだから、芸術作品に触れるとき、その都度抱く感情については尚更だろうと思う。

 

 私が今こうして、田舎の一室の床に寝転がり、遮光カーテンの隙間からこぼれる蜂蜜色の西陽を眺めてうつくしいと感じている、このうつくしさ、私が感じたそっくりそのままの「うつくしさ」は、どれだけ言葉を尽くしたって私以外の誰にもほんとうには伝わらないのだと思うと、なんともいえない気持ちになり、私はことばを識らない生まれたての赤子のように、ただ目に見える真実をあたらしく受けとめようとする。自主的な退行だ。

 

 音楽は国境を越える/超えるというが、これはつまり、言語を必要としないからだ。

異国のストリートミュージシャンの演奏を聴いて、脚を止めずにいられるだろうか。

言語がわからないなら、その歌の歌詞の意味もわからない、どこの国の音楽かわからない。それでも、言葉にできない、しなくてもいい何かを感じられる私達はほんとうに幸せだと思う。

 

 

 

 

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Laideronnette

Laideronnette

 

 

 

 

 

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ice / やなぎなぎ× whoo×eau

 

 

 

 

https://youtu.be/Gh3Rszcq_-E

 

Ice  / やなぎなぎ×whoo×eau.

 

 


ice
あとがき / 解説


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我が罪は大にして負ふこと能はず

視よ汝今日斯地の面より我を逐出し給ふ

我汝の面を觀ることなきにいたらん

我地に吟行ふ流離子とならん

凡そ我に遇ふ者我を殺さん


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――のしかかってくる猛々しい巨像のような極寒の氷の波が、今まさに少女の頭上で砕けようとしている。

氷から放射される死の寒気に凍りつき、氷の結晶の強烈な輝きに視力を奪われて、

少女は自身もまたこの極地のヴィジョンの一部になったように感じる。

自分という構造が、氷と雪の構造と一体化したように感じる。

みずからの運命として、少女はこの輝き揺らめく死の氷の世界を受け入れ、

氷河の勝利と世界の死に自身を委ねる。

( アンナ・カヴァン山田和子訳 「氷」 より引用

 

▼公式サイト

http://lamer-e.tv/top.html

 

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透き通る手  砂雑じりの雪に

ひとすじの詩  描かれモノクロに

焼き付いて  瞳から離れない

 

 

        まだ

 

 

   有り触れた終焉の言葉

     美しく染まろうと揺れながら

    裏切と絶望を落とし

       コキュトスに煌めかせた

      脈打つ川 輝く海

        その最後に僕らは佇む

 

    遠ざかる手 凍り果てる街に

     君の歌は呼応し響いてく

 

   有り触れた終焉の言葉

  無慈悲さの欠片から

 生まれ得た君の歌

君の歌 声が 響いては

反射して永遠に

  僕たちを

    僕と君だけを

     閉ざし行く 

       緩やかに輪を描き

     

 帰り響く メロディはやがて

        狂おしい叫喚に呑み込まれ

 

 

 音楽を   

              僕たちの音を

 君の歌     

            君の歌だけがまだ

 紡ごうと      

            紡ごうとしている

 

 

 

     僕たちを赦しあうために

 

   そしてせかいは ひらかれてゆく

 

 

 

 

 

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 ボーカルのやなぎなぎさんについては、いずれ書くことがあると思う。昔から変わらず敬愛するアーティストであり、彼女の思想には、勝手に、自分と似たものを感じているから。

 このブログの名称は、彼女のインディーズアルバムのタイトルから名付けた。

 また、「雨の海」とは、月面で二番目に大きい海のこと。一番目が、嵐の大洋。

 

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 カヴァンの『氷』には、救いがない。暗く、冷たく、痛いけれど、美しい。

 

気象変動により急速に寒冷化する世界で、氷はすべてを覆いつくそうとする。

主な登場人物─アルビノの痩身の美少女、それを追う「私」、絶対的な力で少女を支配する長官─は、固有の名前をもたず、影絵のように、終末を彷徨する。

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 カヴァンは、ヘレン・エミリー・ウッズ と名付けられ、フランスにて生を受けた。

冷淡な両親のもとで一人っ子として育ち、特に、支配的な母親の影響を強く受けた。初期の作品を除き、彼女の作品には常に暗い影がつきまとう。

生涯、精神病に苛まれたカヴァンの病状は次第に悪化し、ヘレン・ファーガソンからアンナ・カヴァンに筆名を変更してからは、度々自殺を試み、精神病院に入院していたこともあった。

 

1968年、ロンドンでその命を閉じたカヴァン。彼女の死因は心臓発作であったが、傍らにはヘロインの注射器が置いてあった。手放せないものとなっていたのだった。

 

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 カヴァンがこの作品を書いたとき、彼女は66歳だった。掴み所のない文体、現実と空想の継ぎ目が見つからない描写は、カヴァンのこれまで生きてきた世界が文章に反映された結果だろう。

 

 拭いようのない不安と憂鬱を抱えて生きたカヴァンだったが、一方で活動的でもあった。

生涯にわたって世界中を旅し、ヨーロッパ各国、ビルマ南アフリカアメリカ、ニュージーランドなどに滞在した。

 

この経験は、『氷』という作品に色濃く反映されていると思う。ここじゃない何処かへ行きたいと願うのは、自分がその時居る場所が問題なのではなく、自分の意識を肉体から引き離したいという欲求からだろうか。幻想の世界で繰り返し虐げられる銀髪の少女は、カヴァンそのものだろう。氷は、冷たい死のメタファーとも読み取れるが、私はその逆で、氷こそが、カヴァンにとっての「生」の暗喩なのだと感じた。私達の生活には水が欠かせない。肉体の60%以上は水分でできている。水は、かたちを変え、循環し、枯渇しない限りはいつも、そばにある。登場人物たちは、カヴァンは、氷からは逃げられない。カフカに強い影響を与えられた彼女の作品は、強烈なヴィジョンをもたらし、居心地のいい孤独感と疎外感を読む者に感じさせる。

 

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 カヴァンを、「夜の世界を探索する作家」と評したフランス生まれの著作家 アナイス・ニン は、こう言い遺している。

 

 

 

 

“We don't see things as they are,

we see things as we are.”

 

─“私達は物事をあるようには見ないで、私達が在るように見ている。”

 

 

 

 

 

 

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氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

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