幻想美術館 ジョージ・フレデリック・ワッツ

 

 


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『希望』

1885年、油彩、141×110cm、Tate Gallery, London

 

球体に腰をおろす一人の少女。弛緩した肉体を竪琴にあずけ、たった一本残された弦に耳を傾ける。白い布で覆われた目は、自分で隠したのだろうか。彼女には何も見えない。あるいは、瞼の裏で夢をみているのかもしれない。

 

 

 

 


 ジョージ・フレデリック・ワッツは、象徴主義運動にかかわった、イギリス・ヴィクトリア朝時代の画家、彫刻家だ。

 

『希望』などの寓意的な絵画は、「The house of Life」と呼ばれる象徴主義の連作ソネット (14行から成る定型詩が集まり、全体で一つの長詩を成したもの) を絵画化した作品群である。

 

 ワッツは、自らの作品について

「線や色彩の崇高性により真に心に訴えかけるため」

のものだと述べている。

 

 その言葉が誇張表現ではないことを、彼の絵を見た人々は知るだろう。

 

 

 

 

 

 西洋絵画において、弦楽器は愛の象徴として描かれ、天上の音楽を奏でる聖なるものとされていた。

また、弦が切れることは人間関係の不和を象徴した。

少女の目を覆う布の白色は言うまでもなく、清廉潔白を意味する。

 

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 愛を象徴する弦楽器、その弦は切れ、最後の一本が紡ぎだす音を聴こうと寄り添う少女。絵の中の竪琴は、想いを懸ける相手の暗喩か。

 

 衣服は濡れてじっとりと肌に張り付いているかのようだ、球体を取り巻く世界は、凍るような水で満たされているのかもしれない。無垢な少女には生き辛い海。

 

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 愛を知った少女は竪琴とともに、縹渺と無辺際にひろがる海に飛び込む。蝋を流したような穏やかさであった。

 

 透明な時間を泳ぎ疲れ、身は凍え、やっと辿り着いたのは、朽葉色をした球形の岩だった。引き返すには遅く、ほかに行く宛てもなく、いつの間にやら辺りには乳白色の薄霧が揺れ立ち、為す術もなかった。岩に登り腰を下ろし、たった一つの、一人の希望、湿った竪琴を見つめて少女は問うが、応えはない。

 

もとの機能はほぼ失われていた。

危うい一本を遺して。

 

 少女は生来の純粋さゆえに、現実を生きるのをやめた。白布を広げ、未だ濁りのない双眸を覆い、世界を、竪琴を視ることをやめた。盲目の愛という言葉が胸に浮かんだが、その陳腐さを笑う余裕はなかった。小さな両の耳も覆った。微かな水音、風の音も何もかも、元の世界を想起させる音はもう耳にしたくなかった。敏感になった肌に布が食い込み痛んだ。

 

 

 

 

   ――弦はまだ残っているのだわ。

きつく縛った布を緩め、恐る恐る、耳を半分近く曝露した。かつて陶酔した音色をもう一度聴くために、弦が弾かれるときを待ち続けようとした。その役目を果たせる者はほかに誰ひとりいないことを知りながら、記憶の断片を掬い上げ、懐かしい調べに想いを馳せた。ふと、竪琴を握る左手に力が入った。開きかけた唇を閉じる。疑念の影に追い付かれぬよう、瞼を下ろし、少女は夢をみる。

 

 

 挽歌にも似た哀切な調べが聞こえる。

音の粒は靄と混ざり、溶け込んで、鎖のような波紋をつくり、存在し得ないはずの色彩を奏でて空気を撫でた。昏昏と沈んでいく最中、影が白布の意味を奪った。

 

 

 

 

 ――澱んだ翡翠色の海のなか、水泡に紛れて弦を切ったのは、この手ではなかったか。

 

 

 

 

 

 

ギリシャ神話において、人類の最初の女性であるパンドーラーは、好奇心に身をまかせて「パンドラの箱」を開けた。

あらゆる悪いものが箱から溢れ出た時、最後に唯一残ったのが「希望」であった。

 

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絵のタイトルである『希望』は、

竪琴に残った最後の弦に対して少女が抱く「希望」のみを意味するのだろうか。

 私はそうは思わない。

 

希望 は 冀望 とも表記され、

単語の意味は

「こうなればよい、こうなってほしいと願うこと」である。

 

 

 

 

 ワッツの描いた希望はおそらく、

鑑賞者である私達が、少女に対して抱く「希望」でもあるのだろう。

 

竪琴の糸が切れたのも、骨まで冷えるような寒さ、悴んだ剥き出しの素足の痛みも、少女のせいではない。誰のせいでもない。

夢から戻らないという、痛ましくも清らかな幸福を選択したのは少女自身である。

 

そうであってほしい。

 

 

 

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 □

 

 

玄関につながる広々とした廊下に、控えめな大の字のような姿勢で寝転び、木造住宅の床のひんやりとした感触を背に、全身の力を抜き、天井を歩く。開け放した扉の外からは風にのって草花の青い匂いが、うすぐらい台所のほうからは、祖母が作る煮物や炒め物の香りが漂ってきて、私は五感を地上に残したままで、天井を、照明を避け、梁を跨ぎ、ただただ歩く。

 


 幼い頃からつづく私の秘かな遊びである。
このとき、視界に写る半透明の私の足の裏はたしかに天井を踏みしめ、もとの私は、逆さまになったもうひとりの自分を真下から見上げている。

しかし、天井を歩く私の髪や衣服は重力の影響を受けて地面のほうに流れることもなく、あるべきかたちにとどまっているので、天地がひっくり返ったように感じ、その日の夜ご飯のことなどを考える私、床の硬さに後頭部を痛めつつも半ば微睡みかけている私が今、だらしなく横たわっているのがほんとうの天井であって、自分がにせものであるような、不思議な感覚をおぼえたものだ。 


 不快さはないが、おなかのあたりがもやもやして、見たこともない風景に取り囲まれて世界でひとり生きているような、期待と不安の入り交じった複雑な感情の虜になってしまい、それが密かな楽しみとなった。
ふたつにわかれた私は、夕食の支度ができたと告げる祖母のやわらかい声と足音を聞いてふたたびひとつになり、折り紙の端と端が合わさらないような、その微妙なずれを言葉にしようともせずに、まだ私よりも背が高かった祖母の後を弾んだ足取りで追うのだった。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 断片的に浮かぶ記憶は、普段はどこに沈んでいるのやら、雨上がりに水溜まりができ、そこに映る景色が自然に消えていくように、いつの間にか脳裏に表れては、雑事をこなすうちにゆっくりと、何処かへ還る。

そういった小さな記憶や思想の欠片をここに集めていきたい。

 

 

 ブログを始めた主な理由は、周りの人々(声と文章だけのつながりで、顔も見たことがないし、知り合って数週だが、心から大切に想っているひとたち)に勧められたからというのが大きい。

ほかの理由についても、ひょっとすると文字に起こす機会があるかもしれない。

 

 言葉にしたいことを言葉にできるというのは大変贅沢なことで、常日頃忘れてはならない幸せの一つであるから、気の赴くままに、覚束ないながらも記していけたらと思う。

 

 

 

 

 

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